2007年9月15日土曜日

党の危機、国の危機


 自民党総裁選は福田さんでほぼ決まりということで、投票が終わってから論評してもしらけているだろうから、いまのうちに。
 ほぼ決まりということは、自民党内に支持が多いということに他ならない。そこには、安倍政権時代に干された怨念とか、勝ち馬に乗り遅れたくない議員心理だとか、安倍の未熟さへの国民的批判を回避するために安心感を求めたこととか、いろいろな要素があるだろう。
 同時に、政策的にいっても、転換が必要とされていた事情がある。構造改革によってすすむ貧困と格差、米議会の慰安婦決議に見られたアジア外交のつまづきがあり、それをなんとかしなければという自民党内の動きもあったわけだ。福田さんの総裁選公約は、そういうことを意識している。
 もちろん、アメリカ追随とか、財界本位という本質は変わらないだろう。しかし、福田さんは、靖国に参拝しないことをすでに明言している。昨年の総裁選挙で立候補への期待が高まったのも、そういうアジア外交の姿勢があったからだ。いわゆる〃靖国派〃という批判はできくなる。
 そういう点では、自民党内だけでなく、国民のあいだでも、ある種の期待感が生まれることは自然である。同じ自民党だから変わらないのだとか批判しても、通じる部分と通じない部分が出てくることは避けられない。
 国民的関心がある分野では変化を国民に見せるわけだから、本質批判というのは難しい。国民があまり関心を寄せていない部分をとりあげるのだから、関心をもってもらうだけでも、なかなかたいへんであろう。国民に胸に響く本質批判とはどういうものか、模索と探求が求められていると思う。
 同時に、今回の顛末を見て、私はもう一つのことを考えた。それは、福田さんの政治家としての資質という問題である。
 福田さんは、昨年の総裁選挙においては、高齢等を理由に出馬を断念した。年齢を一つ増やしているのに今回は出馬する理由を、「非常事態だから」とか、「危機的だから」とかいっている。
 しかし、日本の国民、アジアとの関係その他を考えてみて、「非常事態」だったのは昨年の総裁選挙の時だったと思う。小泉さんの靖国参拝でアジア諸国との軋轢は頂点に達していた。構造改革による貧困と格差が、国会でも最大の焦点となっていた。
 ところがその時に、福田さんは逃げたのだ。政治闘争の現場から。靖国問題などで安倍さんの考えを支持したからではないだろう。要するに安倍人気には勝てないと思ったわけだ。
 その福田さんが出馬する。勝てると思ったからだ。では、「非常事態」とか「危機」とは何か。それは、国や国民の非常事態ではなく、自民党にとっての非常事態に他ならない。
 つまり、国の危機の時には逃げたのに、自民党が危機の時には決意したというわけだ。愛するのは国でなく、自民党なのだ。
 そういう人物が、ホントに国民生活の危機を救ったり、国の外交を転換できたりするのだろうか。私はできないと思う。お手並み拝見である。

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