2009年3月8日日曜日

ブログを引っ越しします。

こちらです

 ブログをはじめて1年半近くになりました。この間、多くの方から励ましもご批判もいただけて、とても幸せです。

 読者が増えるにつれて、ご意見が増えてきました。書いている内容とともに、ブログの使い勝手についてもです。

 コメントの一覧表示ができない問題は、コウトさんが親切にやり方を教えてくださったので、なんとか解決できています。ただ、コメントが増えるにつれ、現在のものではやはり不便だという声が出ています。

 それよりも、ブロガーのみなさんからは、トラックバックができないことへのご不満がたくさん寄せられています。これは、現在のブログでは、解決不可能ではないようですが、クリアーすべき問題が多いようです。

 私、パソコンでも(マック)、野球でも(阪神)、政党でも(共産党)、マイナーなものに惹かれる性質があって、ブログもそうでした(それらをメジャーにするためにがんばるんですが)。でも、それでは、うまくいかないこともあります。

 ということで、使っている方の多いFC2に移行することにしました。すでに移行は完了しています。

 これからは、新しいサイトにお願いします。よろしく。

中国民主化本、10日付紙面に

 何回か告知しましたが、兪可平さんの『中国は民主主義に向かう 共産党幹部学者の提言』。書店にもうすぐ並びます。

 朝日新聞に著者の独占インタビューが載ることはお知らせしていましたが、掲載の日取りが決まりました。今週の10日(火)です。10面の右肩に大きく、カラー写真付き。

 それにあわせて、東京の大きな書店では、10日から販売です。その他の店も、翌日以降には並びます。ぜひ、本屋さんに足を運んでください。「赤旗」に広告が載らないものですから、ブログ読者のみなさんだけが頼りです。

 朝日の記事の内容は、もちろん見ていませんが、インタビューに同席した複数の人の話は聞きました。とても面白かったそうです。兪可平さんは、「個人的な見解だが」と何回も前置きし、かなり突っ込んだお話しをしたようです。

 ところで、この夏には、兪可平さんを日本にお招きし、日中の学術交流を計画中。中国の民主化をテーマに、日本と中国の学者が討議するなんて、少し前なら考えられなかったことです。でも、このテーマは、21世紀国際政治の最大問題なのですから、やって当然なのだと思います。

 もっと考えられないのは、そういうことを、わが弱小出版社がやろうとしていること。ホントに大丈夫なんでしょうか。お金もかかるのにね。

 この企画が実現すれば、一般の方が参加できる講演会も計画し、このブログでお知らせします。関心のある方はどうぞ。参加するだけで内政干渉なんてことは、絶対にありませんから。

 中国関連の本、まだまだ続きます。次は、ギョウザかチベットか。

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2009年3月7日土曜日

『理論劇画 マルクス資本論』5


 やっと作業が終了(除、表紙)。昨晩、すべてを印刷所に放り込みました。

 順調に進めば、月末に印刷完了。ふつうの本屋さんでは4月中旬に入手できるようになりますが、いくつかの大手書店では、4月1日からです。春の入学シーズンにあわせてフェアをやりたいという要望が多いもので。

 わが出版社はじまって以来の注文数になりそう。でも、これって、書店が「面白い」とか「売れそう」と感じて注文するだけなんですよ。読者が買ってくれなければ山積みになったままで、何カ月か後に返本されてくるわけです。そうして、出版社は赤字の山。

 そうならないよう、これから売り方を考えるんです。ブログ読者のみなさんも、よろしくお願いします。ということで、内容の一部を画像にしたので、ダウンロードして活用してください。

 また、この本の構成・解説を担当していただいた紙屋高雪さんが、ご自身のブログで、詳しい紹介記事を書いておられます。そちらもご覧下さい。

http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/rirongekiga-marx-sihonron.html

 私が大学に入った70年代前半、高度成長をとげた日本社会のひずみが、公害問題などの形で噴出していました。そういう資本主義の姿を、深いところで本質的にとらえた『資本論』というものが、若者にはたいへん魅力的でした。

 現実の社会主義国は、ソ連にせよ中国にせよ、とても社会主義とは言えない国でしたが、社会主義の理論というものは輝いていました。そうして私は社会主義者になったわけです。

 いまの若者は不幸です。現実の社会主義国は、引き続き魅力がありません。社会主義の理論も、ソ連崩壊後、縮こまってきたような印象を持たれています。

 それが、世界金融危機とか、貧困の深刻化とか、そういう局面のなかで、問い直される局面が生まれています。しかし、ボヤッとしていては、社会主義理論への関心は生まれません。

 『資本論』は何を書いているのか。それは日本や世界の現実をどうとらえているのか。どうすれば現実を変革できるのか。それを積極的に提示することが、いま求められています。

 この『理論劇画 マルクス資本論』が、そのために少しでも貢献できれば、とてもうれしい。頑張った甲斐があります。

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2009年3月6日金曜日

小沢さんの献金問題の本質


 小沢さんをめぐる政治献金。この種の問題は、お金が絡むだけで何か疑惑っぽくなり、かえって本質がつかみにくくなる。結局、何が問題なのだろうか。

 現在、企業は、政治家個人に献金してはならないことになっている。一方、政党への献金はOK。ところが、企業ではなく政治団体だったら、政治家個人への献金もOKなのだ。西松建設は、小沢さんへの献金をしたかったが、そのやり方では違法になるので、政治団体を隠れ蓑にして献金したわけだ。

 小沢さんは、そういう西松側の意図について、知らぬ存ぜぬである。そして、政治団体の献金だったから、個人(の資金管理団体)で受け取ったのであって、企業献金だとはじめから分かっていたら、政党(支部)で受け取ったと弁明している。

 なぜ企業は、個人に献金してはならないのか。それは、企業献金というものが、政治家に物事を依頼し、それを実現する手段として捉えられているからである。贈収賄、いわゆるワイロだ。今回も、報道によれば、西松側は、小沢さんの影響力の強い岩手県内での公共工事の受注を狙ったとされている。 

 それにしてもわかりにくいのは、そういう企業献金であっても、政党に対しては認められていることだ。たしかに、小沢さんが言うように、今回の献金を、政党支部名で受け取ったら、違法ということにはならなかったかもしれない。

 そこがおかしいのだ。なぜ、企業献金は、個人に対してはダメで、政党に対しては良いのか。それは、贈収賄が、政治家個人の影響力で何事かを成し遂げ、その見返りをもらうものとしてイメージされているからである。

 けれども、政党支部だって、お金をもらって、便宜を供与することはあるはずだ。あるいは、特定の便宜ではなくても、おおくの企業からの献金に依存することにより、全体として企業よりの政治運営をすることだってあるのだ。現在の法律は、そういう構造を免罪している。

 結局、なぜこんな法律の構造ができあがったかというと、日本の保守政治家が、何が何でも企業献金を温存したかったからなのである。企業献金にワイロ性があることを否定できないけど、どうしても受け取りたいから、個人はダメで政党はOKという、政治家にしか通用しない理屈をつくり、法改正を積み重ねてきたのだ。

 小沢さんの会見では、そういう問題にはまったく触れられなかった。自民党や民主党の議員も、個人であれ、政党であれ、企業献金を受け取ることの問題点は、何も感じていない。企業献金は当然だという前提で議論しているから、ますます本質が見えなくなる。

 小沢さんは、派遣法などの問題でも、野党間の協調を主張していた。だから、企業献金に依存していることが、ただちに労働者に敵対する政策をとるというような、単純な見方をしてはならないのかもしれない。

 けれども、なぜ献金するのかという企業側の意図が、今回の事件を通じて明白になったことは確かである。違法な手段を通じてでも、逮捕されても、なんとしても献金したいというのが、企業の本性なのだ。そのことに立ち返った議論が求められていると、私は思う。


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2009年3月5日木曜日

憲法9条が世界を変える・6


伊勢崎賢治さんの経験から考える

 そのときに、じゃあどうするのか、ということなのですね。それで、私は、この問題では、伊勢崎賢治さんの話をさせていただきたいと思います。

 伊勢崎さんは、いま東京外国語大学の平和構築という講座を受け持っていて、大学の教授をされています。その伊勢崎さんの本『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』を、今年五月につくらせていただいて、それにさきほどお話した猪口さんが推薦をしていただいたというわけです。

 伊勢崎賢治さんは、日本人としてはたいへん変わった経歴を持っています。さきほど出てきました、アフリカのシエラレオネで、内戦が始まる前、八〇年代の終わりに、イギリスのNGOの職員として勤めて、仕事をしていました。たいへん大きなNGOで、シエラレオネの子どもたちに、教育や福祉を与えるという仕事で、日本のNGOと規模が違い、シエラレオネの国家予算の何%かぐらいの規模の援助活動をしていたのです。

 それで、さきほどいったような内戦がどんどん深刻化していって、自分の命も危うくなるということで、シエラレオネから撤退して他のアフリカで活動をやっていたのです。

 そして、九〇年代の終わりに、東チモールに、国連の職員として採用され、行きました。東チモールのコバリマ県というところの県知事を一年間ちょっとやったのですね。県知事ということで、びっくりされたかと思うのですが、東チモールというのは、ずっとインドネシアの植民地のようなところで、九〇年代のなかばに独立闘争が広がって、住民投票をやって、独立を決めるのです。

 しかし、それは許さないということで、インドネシアの正規軍ではないんだけど、その支援を受けた民兵が、殺戮をくりひろげました。国連はどうしかたというと、平和維持軍を送って、インドネシアの兵力が、東チモールに入ってこられないように、展開したのです。独立をするまでのあいだ、暫定的に行政も国連が掌握をして、一五の県ごとに県知事を置いて、そのもとに平和維持軍を配置して、行政機構もつくり、行政の運営の仕方を東チモールの人が勉強しながら、独立を勝ち取るようにすすんでいきました。

 その仕事をやりたいというので、伊勢崎さんが立候補して、採用されて、一番インドネシアとの国境沿いの危険な地域に配置をされました。その平和維持軍全体のなかで、展開中にインドネシアとの戦闘で殺された平和維持軍の兵士が二人いましたけれども、二人とも、伊勢崎さんがいた地域の兵士でした。だから、たいへん痛苦の体験をされてこられた方です。

 そしてその仕事が軌道にのったあと、今度はまたシエラレオネに行くのです。当時終了しそうだった内戦を、本格的に終わらせるために、国連が平和維持軍を送りました。シエラレオネの武装勢力が総勢五万人いて、それが五、六万丁のカラシニコフを持って、対峙しあっていました。だから、平和維持軍の大事な任務として、政府系であれ、非政府系であれ、両方の武装勢力から、その武器を全部とりあげるというのが、国連の平和維持軍の仕事でした。

 その仕事を誰かしませんかということで、国連が公募していて、伊勢崎さんが、自分にやらせてくれということで立候補し、国連平和維持軍の武装解除部長という任務を与えられて、派遣をされました。そして、立派に、すべてのカラシニコフを回収するということをやりとげたのです。これは、国連のなかでは、平和維持軍の成功例ということで、語り継がれています。

 日本人がですよ、武装解除を担当する部長で、何人もの武装勢力のもとへ出かけていって、説得するわけですよ。みなさんの持っている武器を出しなさいと。ほんとうに危ないのです。まだ戦火が収まっていないところに行って、納めるために武器を回収してくるわけですから。

 なんでそういう仕事をやろうと思ったのですかって伊勢崎さんに聞いたら、いや、別にたいしたことないんですということでした。以前、自分がNGOで子どもたちの世話をしていて、何千人も名前を知っている。そして内戦になり、自分は後ろ髪引かれる思いで出ていったけれども、そのあと自分が世話をしていた子どもたちが、少年兵になって、人を殺したり、あるいは殺されたりするような体験を一〇年間やってきた。自分としては、なんとしてもシエラレオネで、物事を解決しなければならないという使命感で行ったんだと言っていました。

 そして伊勢崎さんはそのあと、アフガニスタンに行きました。アフガニスタンで、カルザイ政権が成立したあと、国連が会議をひらいて、カルザイ政権のもとでどうやってアフガニスタンの復興をしていくかということで、いろいろ協議した。麻薬対策はイギリスがやろうとか、司法機構はどこの国がつくろうとか。それで、日本がやることになったのが、アフガニスタンの武装解除、という仕事だったのです。

アフガンでも困難な武装解除を成功させた

 アフガニスタンは、軍閥が群雄割拠していて、シエラレオネの小型武器どころじゃないのです。みんな大砲だとかミサイルだとか、対戦車ミサイルだとか、そういうもので武装していたのです。せっかく国づくりをすすめるというのに、そうした軍閥が、勝手に武器をもって、通貨も流通させて、警察だとか、みんな自分たちでやっていたわけですが、これを一つの国にしなければならない。そのためには、軍閥からも武器を出させて、国軍というのをつくらないとだめだと。これは根本的には、タリバンを排除した構想だということもあって、たいへん偏ったものだったのだけれども、しかしやっぱりなんとしないといけないと、国連が苦渋の選択でそういうことをやったのです。

 それで伊勢崎さんは、日本政府に「あなたにはこういう実績があったから、今度もやってくれないか」ということでお願いされました。じつは伊勢崎さんは、最初、これは難しいかなと思ったそうです。シエラレオネのときは、国連の職員ということで、説得してやってきた。やっぱり国連というのは、中立だというふうに思われている。どの武装勢力からも信頼されて、国連がその後も平和を保障してくれる、仕事もなんとかしてくれる、わかった武器を出そう、というふうになったけれども、今度、国連はそういう仕事はしない、日本がやる。

 しかも、その日本というのは、インド洋上で、給油をしていて、軍事的にアフガニスタンに関与していて、中立じゃない。軍閥が言うことを聞いてくれるだろうか、ということで心配をしたのです。しかし、一年ちょっとで、この武装解除も、成功をしました。

 伊勢崎さんはこの本にも書いているのですが、なんで成功したかというと、「それはやっぱり憲法九条があったからです」と、はっきりと猪口さんと同じようなことを言われています。

 アフガニスタンの人びとのなかでは、憲法九条を知っているような人はいないのだけれども、「日本」というふうにいえば、やっぱり平和な国だと。戦争をしない国だと。誤解といえば誤解なのだけれども、そういうのがやっぱり根強くある。軍閥に対して、「日本が戦後成功したのは、武器をなくすというのを決めたからなのだ」ということを説得して、やったのです。

 そうしたら、アフガニスタンの軍閥が、「日本の言うことだったら、わかったよ」ということで、武器を差し出してくれたのだと。だから、九条というのは危機にひんしているのだけれども、それだけの説得力があるのだ、というのが伊勢崎さんの話でした。

 今、対テロ戦争を終わらせるうえで、その発端になった、このアフガニスタンの事態を、どうやって解決していくのか、一番大事な局面にいたっていると思います。


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2009年3月4日水曜日

レーニン最後の模索


 もうすぐ出版される今年の私の本ですが、ようやく表紙ができあがってきました。いかがでしょう。

 抽選を経てブログ読者20人の方にプレゼントすることが決まっていますが、順調にいけば、4月15日頃、発送できます。本屋に並ぶのは20日頃でしょうか。もうしばらくお待ち下さいね。

 それにしても、ようやく日本でも、マルクスが注目されてきました。マルクスの本を出している出版社には、少しずつ原著の注文も増えているようです。そこで、その出版社は、わかりやすい関連本をリニューアルして出すとか。

 今年1月、資本論の漫画と銘打った本も出されました。あれが資本論かどうかは議論のあるところでしょうが、売れてはいるようです。

 そして、漫画といえば、的場先生が監修し、弘兼さんがイラストを担当した『マルクス』も出版されたとか。私はまだ見ていませんが……。

 わが出版社が出すのも、ようやく最終タイトルが決まりました。『理論劇画 マルクス資本論』です。

 そうなんです。マルクスの原著ではない。けれども、いわゆるただの漫画でもない。「理論」を扱った漫画なんです。正式の発売は4月中旬ですが、主要書店では、1日からフェアーが始まると思います。

 これはうれしいんですけど、私が書いたレーニンまで、読者の関心が及ぶことがあるでしょうか。まあ、あまり期待しないで、見守るしかないでしょうね。

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2009年3月3日火曜日

拉致 左右の垣根を超えて・1


 これまでもちょっとだけ報告したことがあるけれど、いま、蓮池透さんの本をつくっている。拉致被害者である蓮池薫さんのお兄さんで、「家族会」の事務局長を長くやっておられたから、よく知られている。

 その蓮池さん、現在は、「家族会」とは距離を置いている。制裁一辺倒で北朝鮮の政権打倒論に傾く現在の路線に違和感を感じたからだ。

 私から見ると、これまで、その蓮池さんご自身が右翼的な潮流の頭目かと思えてきた。実際、本人が、そう思われて当然だと考えておられる。自衛権を発動して被害者を助けろと主張したこともある。

 ただ、当時から、いろいろ悩んでおられたようだ。最初に蓮池さんが書かれた本は、『奪還』(新潮社)だが、その文庫版あとがきには、以下のようにのべられている。

 「われわれの運動の中では経済制裁はそれ自体が目的ではなく、あくまで救出のための手段であるという位置づけであるべきです。それが一部、経済制裁が目的化しているように感じられるのは非常に残念なことです」

 転機になったのは、ある日の集会だそうだ。いつもは先頭を歩く集会後のデモで、最後尾に回ってみたら、そこには右翼の宣伝カーがぴたっとついていた。そして、車から流れ出る言葉が、自分たち「家族会」の方針と同じものだった。大きな衝撃を受けたという。

 去年の秋、その蓮池さんにはじめてお会いし、本の執筆を依頼した。立場が以前と異なるとはいえ、左翼出版社から本を出すとなるとバッシングも予想されるし、躊躇するのではないか……

 そう考えた私は、まず、私が2年ちょっと前に入社して最初に編集した本をお渡しした。『我、自衛隊を愛す 故に、憲法9条を守る』である。そうして、重要な問題では、立場の違いを超えて連帯しようという立場で本作りをしていることを説明した。

 その上で、こんどは、私が書いた本をお渡しした。『平和のために人権を 人道犯罪に挑んだ国連の60年』だ。北朝鮮の人権問題をどのように重大なものとしてとらえているか、個人としての立場も明らかにした。

 その一カ月後、再びお会いし、了解していただいたのである。これから、ときどき、予定の本のエッセンスを紹介していきたい。

 なお、この記事のタイトルが、本のタイトルにもなる予定。ご意見をいただければうれしいな。


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